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大河津分水
先々週、大河津分水に散歩に行ってきました。天気のよい河川敷は気持ちがよいです
通水したのは大正11年(1922年)。その後、補修工事が行われ昭和6年(1931年)に工事が終ったそうです。現在では老朽化した現在の水門の変わりの建物を新たに造っていました。現在の水門は国の登録有形文化財になるのだそうです。
資料館では大河津分水の難工事から、重要性までを幅広く紹介していました。
旧分水町の町並みも昔ながらのものが多かったです。落ち着きました。また後日書きたいと思います。
ps 上越についての研究?は少し時間がかかりそうです。いつブログにアップできるか分かりませんが、よろしくお願いします。
通水したのは大正11年(1922年)。その後、補修工事が行われ昭和6年(1931年)に工事が終ったそうです。現在では老朽化した現在の水門の変わりの建物を新たに造っていました。現在の水門は国の登録有形文化財になるのだそうです。
資料館では大河津分水の難工事から、重要性までを幅広く紹介していました。
旧分水町の町並みも昔ながらのものが多かったです。落ち着きました。また後日書きたいと思います。
ps 上越についての研究?は少し時間がかかりそうです。いつブログにアップできるか分かりませんが、よろしくお願いします。
タグ :治水
2009年06月03日 Posted by きたゆき at 18:15 │Comments(2) │中越
水の道
写真は旧吉田町、西川です。
吉田町史によれば、西川は分水の地蔵堂というところから、吉田、岩室の和納、巻、曽根(旧西川町)、内野というルートの物流を担い町を発展させる原動力となったとのことです。川沿いには荷揚げ場や荷下ろし場があり、運んできた物資をしまう倉庫が建設されたそうです。
鉄道や自動車が普及していなかったころの物流はほとんどすべてが水運に頼っていました。西川の他にも、信濃川、阿賀野川、栗ノ木川、中ノ口川等・・・
町が現在の状態に至った経緯やきっかけを探すと色々見えてくるものがあって面白いです。川沿いの町を歩いているとそういった名残が見つかるかもしれません。
吉田町史によれば、西川は分水の地蔵堂というところから、吉田、岩室の和納、巻、曽根(旧西川町)、内野というルートの物流を担い町を発展させる原動力となったとのことです。川沿いには荷揚げ場や荷下ろし場があり、運んできた物資をしまう倉庫が建設されたそうです。
鉄道や自動車が普及していなかったころの物流はほとんどすべてが水運に頼っていました。西川の他にも、信濃川、阿賀野川、栗ノ木川、中ノ口川等・・・
町が現在の状態に至った経緯やきっかけを探すと色々見えてくるものがあって面白いです。川沿いの町を歩いているとそういった名残が見つかるかもしれません。