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三島億二郎日記をよんでみた その2



三島億二郎日記を読んでみた、の二回目です。

今回は
明治19年3月10日 (第二回北遊記の2)
からご紹介致します。

当時の日本の鉱山産業の実態と(前半部)、
当時の不景気の要因分析に対する所感(後半部)が書かれています。

無い頭で漢和辞典を片手に読んでみました。
およそ以下のような内容でした。

前半部
---------------------------------------------------

★石炭産地の主な場所(カッコ)は現在のおおよその地名

 〇九州
  -三池(熊本県大牟田周辺)
  -高島(長崎県高島町)
  -筑前(福岡県)
  -多久(佐賀県多久市)
  -唐津(佐賀県唐津市)
  -今福(長崎県松浦市付近)
 〇羽後
  -油戸(山形県鶴岡市)
 〇北海道
  -幌内
 〇中国
  -長門・船木(山口県宇部市)
 〇南海・四国
  -小豆島
 〇東国
  -磐城(福島県)
  -茨城(茨城県)

坑業の進捗や産出量の増加は年々見張るものがある。
明治16年の産出高は907539ton 2,623,570円
この内海外輸出は 389541ton 1,357,935円

★銅産地の主な場所
 〇下野足尾 (栃木県足尾)
 〇伊予別子 (愛媛県新居浜市)
 〇越後草倉 (新潟県阿賀町)
 〇羽後阿仁 (秋田県秋田市)

これらに次ぐもの
 〇越前面谷 (福井県大野市)
 〇飛騨神岡 (岐阜県飛騨市)
 〇大和・玄里(奈良県??町)
 〇陸中尾去沢(秋田県鹿角市)
 〇美作瀬戸 (岡山県美作)
 〇長門蔵目喜(山口県山口市)
 〇備中吉岡 (岡山県高梁市)
    帯江 (岡山県倉敷市)
 〇羽後荒川 (秋田県大仙市)
    卒田 (秋田県??町)
 〇加賀尾小屋(石川県小松市)
 
明治16年算出 1176999千斤(1斤≒600g) 736,076円

★銀産地の主な場所
 〇岩城半田 (福島県国見町)
 〇佐渡相川 (官坑)
 〇飛騨上岡 (岐阜県飛騨市)
 〇但島生野 (兵庫県朝来市)(官坑)
 〇羽後院内 (秋田県湯沢市)
 〇陸中軽井沢(福島県河沼郡柳津町)
 〇播磨大立 (兵庫県養父市)

明治16年算出 4383貫881目 928,119円

輸出760,046円 輸入2,352,511円 輸入超159万余
------------------------------------------------------
前半部以上

改めて日本って全国各地に鉱山資源があったんだなというのが新鮮な感覚です。
地名とか見てますと、〇〇財閥とか〇〇製作所とかにつながるものも見られます。

当時の鉱山資源の輸出内訳みたいなものがないのかさがしてみたところ、
経済産業省のHPにこんなものがあったのでご紹介します。

経済産業省
統計>本邦鉱業のすう勢調査>本邦鉱業アーカイブス
https://www.meti.go.jp/statistics/tyo/honpouko/tokei.html

この三島億二郎日記が書かれたころより十年以上後のデータなのでそのものズバリではないですが、
なんとなく雰囲気が感じられればと思います。


引用データは以下の通りです。
「明治三十九年 本邦 鑛業ノ趨勢」
「-第四章 鑛産物の輸出入」の内、明治36年と記載のあるデータ






明治36年の輸出額の内訳を見てみると石炭と熱銅が主力の輸出品だったことが分かります。


次に、世界での石炭及び銅の産出量を示します。
「明治三十九年 本邦 鑛業ノ趨勢」
第三章より、明治36年と記載のあるデータ











このデータは「ミ子ラルインダストリーより摘載す」とありますので、当時の人が、
資料を抜粋して作成したものだと思います。

石炭については北米、イギリス、ドイツがぶっちぎりですが、日本が8番目に記載されています。
本資料にも「本邦ハ實ニ第八位ヲ占ム」と記載があります。

銅については北米がぶっちぎりですが、意外にも日本が上位にいます。
銅山と言えば栃木県の足尾銅山が有名ですが・・・


ちなみに下記のような資料もあり・・・

幕末、明治初期における石炭輸出の動向と上海石炭市場
杉山伸也著
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sehs/43/6/43_KJ00002434370/_pdf/-char/ja

当時は船が物流の主力で動かすための燃料は石炭でした。
という背景があり石炭は重要な資源でした。
さらに、輸出先の上海では日本の石炭のシェアはバカにならない割合だったようです。


ここから後半部になります。
---------------------------------------------------------------------------
不景気の原因

紙幣の減縮、政治費用の増加、このため農民の購買力が減少した。
金価の高騰、貨物供給増加のために輸出品の価格が減少した。
農業者、商業者、工業者の(経済力)が弱る理由である。


封建時代に米が貨幣のかわりの役割を成していた時の効用はどれほど大きかったであろうか。
我が国では雇人の報酬を米で支払い、借金の返済にも米を使い、その他効用が大きかった。
このような状態であったから、貨幣が少なくても用事は足りていた。
今から報酬を全部貨幣で支払うとなった場合、貨幣が大体2億ぐらいとなるのではないか?
私の見立てでは1億2~3千は不足していると思う。米による給料支払いと金による給料支払いで、
後者と取るならば、給料を受け取る人はこの後、財布が空になる心配をするようになる。
これを放置してそのままにしておくと極貧となる原因になる。
外国にこのような疲弊の例はあるのか?

封建時代の納税は決して軽いものではなかった。
しかし、不作やその他予期せぬトラブルの為に庶民の生活に不安が出れば、減税・免税の実施や、
手当を施すこともあった。翌年の収穫があるまで養うこともあった。
これが税が重くとも農民が耐えられた理由である。
今、これに反する減税が必要となる次第だ。
地券証となってから農民の浮沈はひどいものだ。
------------------------------------------------------------------------------
後半部以上

地券について
※国税庁
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/network/152.htm
抜粋「、明治政府が明治6年以降行った税制改革であり、農業生産者に米などを物納させる年貢(旧地租)に替えて、土地の所有者に税金(新地租)を課すものであった。」

所謂「地租改正」というものの影響の話かと思います。
奈良時代とか律令政治がとか言われていた時代、もしかしたらもっと古い時代から、農業者はお米を税として納めていました。
それが、明治の世になって貨幣で納めるように変えられたというものです。

これによる庶民の混乱や疲弊について、三島億二郎は述べられているのだと思います。
私も三島億二郎と同様、当時の欧米の庶民がどんな暮らしをしていたのか気になりました。

私の三島億二郎日記の研究テーマの一つとして、
「明治維新 やったは良いが 庶民の暮らし よくなった?」
という疑問があります。

この辺りもデータや文献などから裏付けが取れたら面白いかなと思います。
引き続きコツコツ進めて参ります。
  

2021年04月02日 Posted by きたゆき at 18:52Comments(0)独り言データで分析 新潟県

北越戦争時の著名人の年齢を並べてみた


今日は軽い話題を一つ。
戊辰戦争の頃、幕府、長岡藩、薩摩藩、長州藩等の人々がどのような年齢であったか、
並べてみました。

ソースは全部ウィキペディアです。
(一応確認はしていますが間違っていたらすみません)

人選は私の独断の偏見です。
まずは、所属別に並べてみます。
以下、敬称略させていただきます。




所感
・長岡の殿様 若い!!
・長岡藩のお三方の醸し出すベテランオーラ(他の藩士の方ももちろんいらっしゃったんでしょうけれども)
・徳川慶喜と勝海舟の関係、いくつかのテレビドラマの役柄の雰囲気などはこの辺を意識しているのかな?



次に、年齢順に並べてみます。




所感
佐久間象山の門下生、吉田松陰くらいまでの面々を見ると、ベテランオーラを感じます。
佐久間象山が当時の人々に与えた影響と、影響を受けた人々の行動を顧みると感慨深いです。
長岡のお三方は勝海舟と近い世代だったんですね。

徳川慶喜や松平容保が若手の方に入って来るのも改めて見ると少し発見です。



続きまして、江戸城無血開城メンバーと北越戦争に携わった皆様に分かれてもらいます。




江戸城無血開城組の面々、安定感を感じます。
新政府軍は長岡藩になんでこんな若z(ゲフンゲフン)←これ、素朴に疑問です。あちら側に何か資料が残っていないものか・・・
もし、黒田清隆が小千谷に来ていたら・・・という歴史のIFもありますが、それでも黒田清隆28歳とは・・・。


聞くところによると、河合継之助の藩政手腕は並々ならぬもので、
牧野の殿様も継之助に大きな信頼を寄せていたということです。
交渉失敗→北越戦争→長岡被災→河井継之助戦死→殿様謹慎
殿様の心中は察するに余りあります。
牧野忠訓は明治8年に32歳で若くしてお亡くなりになっています。


人の能力は年齢が全てではないと言うべきか、経験の積み重ねは無視できないものがあるのか、
結果論にはなってしまいますが、今回の場合は後者かもしれません。

北越戦争やその後の長岡の復興において、牧野のお殿様の名前ってあまり出てこないで、
藩士の皆様の名前を目にすることがほとんどです。
戦争になってしまったのは残念でしたが、実力のある藩士の皆様が活躍できたその後ろに、
牧野のお殿様もいらっしゃったのかな・・・とも思いました。
  

2021年03月30日 Posted by きたゆき at 13:02Comments(0)独り言

新潟県知事の出身地を明治時代から並べたら?

三島億二郎日記を調べている中で、ウィキペディアから興味深い(と個人的には思った)部分がありましたので、 記事にして紹介します。
歴代の新潟県知事がどこの出身だったか? というものです。
三島億二郎日記を読んでいると、ちょこちょこ新潟県知事に〇〇のお願いに行ったという記述が見られます。
ですので、新潟県知事のデータは三島億二郎日記の書かれた時期の背景を知る上で後々参考になるかもと思い、取っておくことにしました。
では、リストとグラフを示します。
恐れ入りますが県知事の皆様の敬称は略させていただきます。

注意
1.在任期間のカウントについては厳密には日数でカウントすべきです。
しかし、全部やるのは手間なのと、概要がなんとなく分かれば良いという判断から、 下記のようにカウントしている部分があります。


千頭 清臣 1900年1月19日~1900年9月8日=1年とみなす

ですので、本グラフは厳密ではありません。

2.肥前国と佐賀県 長門国と山口県は同郷としてカウントします。





参考データ
新潟県知事一覧 - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7

明治~戦後までは県知事は官選制だったのでそもそも今のように一般庶民が選挙で知事を選ぶというようなことはありませんでした。 明治政府が任命していたようです。 明治初期は所謂、薩長土肥の皆様が来ていたのが一目瞭然でした。
(ここまであからさまとは…)
廃藩置県から戦後までの約半分の期間が薩長土肥です。

他の県もこのような感じだったのか、比較してみるのも面白いかもしれません。

戦後はほぼほぼ新潟出身の方々でした。  

2021年03月16日 Posted by きたゆき at 19:10Comments(2)独り言データで分析 新潟県

インバウンドは新潟県に必要か?

インバウンドで外国人を沢山呼んで、観光業界を活性化させるぞ~!!
という威勢の良い掛け声に疑問を感じ、ちょっと調べて見ました。

以下、素人なりに私が調べた結果を主観でもって好き勝手に書きます。ご参考になれば幸いですが、私の記事のせいで損したから責任取れ!というのは受け付けませんので悪しからず。
それから、言いっぱなしで解決案を言わないのもどうかと思いまして、文末にアイディアも書きました。長文になります。読むのが面倒くさい方は、グラフだけでも見ていって頂けると幸いです。


それでは参ります。
データ元は観光庁が出している観光白書になります。
国土交通省HP観光白書 ホーム>白書・オープンデータ>白書>観光白書
https://www.mlit.go.jp/statistics/file000008.html

まず、平成25年~令和2年版までの観光白書に記載された、「都道府県別の述べ宿泊者数・外国人述べ宿泊者数・宿泊施設の定員稼働率、客室稼働率」の数字の内、「述べ宿泊者数」「外国人述べ宿泊者数」をグラフにしました。
上記の「述べ宿泊者数」には外国人が含まれているとのことでしたので、
「述べ宿泊者数」-「外国人述べ宿泊者数」=「日本人宿泊者数」と計算しています。
以下、全国版、新潟県版と同様の計算です。

まず、全国ではどうか?




おおよそ日本人が85%前後、外国人が15%前後で推移しています。
令和元年の増加分は、観光白書によれば、ラグビーワールドカップ等の影響が推定されるとのことでした。

続いて我が新潟県はどうでしょうか?




外国人の割合は5%以下で推移しています。
大部分が日本人です。
これだと、インバウンドとは縁遠いと言っても良いかもです。

もう少し詳しく見てみましょう。
観光白書の中に記載がある「県内・県外(除く外国人)・外国人述べ宿泊者構成比」の割合の数字から、各年の新潟県に宿泊した人がどこから来たのか算出しました。





大体70%程度が県外からのお客様。残り30%弱が県内のお客様でした。結構県外から沢山いらっしゃっているようで、有難いことです。
1新潟県民としてお礼申し上げます。
新潟県内の方も毎年300万人近くの方が県内で宿泊されています。
新潟県民が約220万人ですので、あくまでも計算上ですが、毎年一人一回は新潟県内の何処かにお泊まりしている事になります。
私はこの結果に新潟県の皆様は胸を張って良いと思います。地元の今ある魅力に自信を持ちましょう!


少し話題を変えて、全国の都道府県の宿泊客の内訳はどうでしょうか?
観光白書令和2年版を抜粋します。




左から順番に外国人宿泊客が多い都道府県になります。
四捨五入して宿泊客の内、外国人が40%を占める都道府県は多い順に、京都府、大阪府、東京都です。京都府は言うまでもなしですね。大阪府と東京都は観光はもちろん旅の起点ですから納得でしょうか?
外国人客20%台は多い順に、北海道、沖縄県、岐阜県、山梨県、福岡県、奈良県でした。北海道、沖縄県は豊かな自然が魅力でしょうか?岐阜県は飛騨高山、合掌造りかな?山梨県は富士山か?福岡県も国際空港のある大きな町です。奈良は文化財が沢山あります。
残りの38県は外国人の内訳は20%以下でした。
グラフから明らかなように、外国人が宿泊する都道府県には偏りがあることが分かります。
テレビなんかで、「インバウンドやらないと観光業は先がない」といった趣旨の報道を見ますが、インバウンドの恩恵を受けているのはほんの一握りじゃないでしょうか?
大部分を支えているのは日本人であるということが、グラフから推定されます。


参考までに外国人観光客を呼び込むためにどんなことが必要か?という内容が観光白書に記載されていたので一部ご紹介します。

観光白書令和二年度版
本文(第Ⅳ部 令和2年度に講じようとする施策)
第1節 外国人が真の意味で楽しめる仕様に変えるための環境整備
より

・海外発行カード対応ATM設置の取組
面的キャッシュレス・インフラの構築支援及び地方公共団体・公共施設のキャッシュレス化
・主要な観光・防災拠点における無料Wi-Fi環境の整備
・観光地の「まちあるき」満足度の飛躍的向上
(訪日外国人旅行者の来訪が特に多い観光地等において、多言語表示の充実・改善(英語、中国語及び韓国語等)や~小売・飲食店等も含めたキャッシュレス決済~)
・ムスリム対応の更なる強化
食や礼拝等における受入環境の整備・改善を通じて促進するとともに、飲食店等における、店内表示及びメニューの多言語化~
・訪日ベジタリアン・ヴィーガンの受入環境整備
・外国人運転者にも分かりやすい道路標識の整備、英語併記等

パッと見、ものすごく面倒臭そうだと思ってしまった私は怠け者でしょうか?
あくまでも新潟県に限ったお話をすれば、言語や文化が全く異なる外国人向けに町を作り替える事に労力を割くよりは、気心が知れた新潟県内の皆様に対し県内の需要喚起に、挑戦したりする方が気が楽ではないかと思ったのでした。

ちょっと政府のゴリ押し感が伝わるような観光白書の内容ですが…
私は旅館の従業員ではないので旅館の現場がどのようであるかは分かりません。
インバウンドが不要ならば不要であると意思表示をしないと押し切られて面倒事が増えるだけではないかと心配しています。
また、観光白書にある「外国人向けに町を作り替える」というのが、ちょっと現実離れしているように思います。
数字を見る限り新潟県の観光客のお得意様は日本人であることは間違いないので、無理に町を作り替えるよりは、今のままお得意様を大事にして頂けたらなと思います。


まとめ
・宿泊客の内、外国人宿泊客が占める割合は日本全体で、15%前後である。
・新潟県は95%程度が日本人の宿泊客である。
・新潟県は70%程度が県外からの宿泊客である。
・新潟県は30%程度が県内からの宿泊客である。
・外国人観光客が宿泊する都道府県にら偏りがある。

以上です。

あ、新潟県の観光業を盛り上げるアイディアでしたね。
私のアイディアは、上記にも少し書きましたが、
「県内の皆様、一年に二回、新潟県の何処かにお泊まりしませんか?お安くしますよ」キャンペーンを実施する。です。
県が主導して県民の皆様にクーポンを配るとか、それを使って忘年会、新年会、暑気払い、地域の総会を県内の旅館でゆっくりやるとか。

毎年、新潟県内の皆様が計算上は最低一回は県内宿泊をしています。これを二回に増やすような政策をして、県内の宿泊客が1.5~2倍になったらと考えると少し興味深くありませんか?  

2020年12月17日 Posted by きたゆき at 22:01Comments(0)独り言データで分析 新潟県

せつなげな顔

せつなげな顔




「腰が痛いのが治らなくて…」
「インフルエンザで熱が下がらなくて…」

「そら、せつねぇのぉ」

という時に新潟のお知り合いがよく使う「せつない」という言葉なのですが、よくよく聞いてみると、「切ない=悲しい」という意味ではなく、「せつない=しんどい」という意味の新潟弁ということが、後れ馳せながら分かりました。

新潟県外の方が上記の会話を聞くと、
「自分の辛さが回りに理解されず、悲しい、可哀想」
↓こんな顔


…という印象を受けることが多いかと思います。
しかし、新潟弁では単純に「しんどい」の意味で使われることがあります。

知人が「せつねかったね」をよく使うので県外育ちの私には最近まで少し違和感があったのですが、話を聞いて納得しました。
そんな連休後半でした。
  

2017年05月07日 Posted by きたゆき at 00:58Comments(2)独り言県外から新潟を見ると

日本海横断航路

時々新聞を賑わせる日本海横断航路の船購入の問題ですが、私の経験からわかる範囲で書いてみたいと思います。


船に馴染みのない方なら、自分が自動車を買うイメージをすると分かりやすいです。

車を買うとき、皆様は何を気にするか?乗り心地、排気量、大きさ、色、安全システム、カーナビ…。
あと、大事なのが車検と保険。


船の場合もイメージは大体一緒。

まず、船舶の購入で、造船所と船の購入者が何を条件に契約をするか。

例えば、
コンテナなどの貨物船なら積荷の最大積載量

定期航路の客船なら最大船速

作業船なら物を押したり引いたりする推力

などなどあります。

そして大事な保険。

自動車の場合、ちゃんと日本の法律に基づいた検査(車検)に合格した前提で、色々な保険をつけることができます。検査合格=安全に走る車。

船舶も一緒で、任意の国の検査規格に合格した船には「船級」とよばれるお墨付きがもらえます。これが車検的なものです。
船級のお墨付きがないと保険も難しい。


そして一般的には(少なくとも新造船、定期検査時は)海上公試運転といって、船の購入者、船級検査員立ち会いのもと船舶の性能確認をします。

もし、この時に契約性能を満足できなければ、造船所は購入者に違約金を払う場合もあります。
当然、船級のお墨付きも貰えません。

と、こんな感じが船舶契約の主な流れかと思います。



今回の注目すべき点として、

1.契約のタイミング、内容、進め方。性能を満足できなかった時、どういう取り決めになっていたか。
(家電にもよくある、いわゆる保証書的なやつがどうなっていたのか。)


2.なぜ、韓国で海上公試運転をしなかったのか。
(船級(車検)が切れていたためとの噂を聞きましたが、船級検査員含めて事前にやるべきだったのでは?)


3.そもそも新潟県に日本海横断航路は必要か?
お土地柄、戦前は満州へなどと役割を担うこともある新潟港ですが、このご時世、必要でしょうか。
ロシア、中国、北朝鮮、韓国とおよそ我が国と仲が良いとは言えない国ばかり…

特に3の必要性については、新潟県民ははっきり意思表示すべきと思います。大人しくしていると、まぁいっかと、お上になめられてしまいます。


そもそもの船の購入でこのようでは、運行管理などできるとはおもえませんが。
船の購入費や3セクへの出資金を別にまわせたら、他にも色々できることはあるはずです。

今後の動向に注目です。  

2016年12月11日 Posted by きたゆき at 11:41Comments(0)独り言

パナマ文書 著名人の言い訳と ご先祖様の価値観

パナマ文書の税金回避やこれに対する著名人の言い訳を聞いて、大きな憤りを感じています。
以下、私の過去のブログ記事を再掲載します。
これは旧新津市で石油で財を成した方の紹介ブログです。

私だけでなく公を非常に大事にされた。
お金の正しい使い方とは?
もう、現代にこのような方はいないのでしょうか。

〉〉以下引用
急に寒くなって参りました、いかがお過ごしでしょうか?

紅葉の季節も近づいてきたと言うことで、新潟市秋葉区
(旧新津市)にある中野邸にまつわるお話をしていきま
す。
庭に植えられた木々の紅葉がとても綺麗で知る人ぞ知
る場所となっています。

ここには、幕末の頃に生まれ昭和の初め頃まで、石油
で富を成した中野貫一(なかのかんいち)さんという方が
いらっしゃいました。
資産は沢山あったのですが、自身は働くことが生きがい
であると言い質素倹約を旨としたそうです。

地域・学校等にも寄付をしたそうなのですが、必ず寄付先
の人の話を聞いてから寄付額を決めたそうです。
寄付というのは寄付する人の気持ちも一緒に届けるもの。
一人で全額寄付すると他の人の気持ちが届かなくなるか
ら良くない・・・というように考えていらっしゃったそうです。

勉強したい人への奨学金を行っていたこともあります。
若者が勉強したくてもできないというのはいずれ日本の
大損失となってしまう。ただし、若者にただお金をあげる
のではなく、働き始めたら返すという気持ちを失わせては
いけない。との思いがあったとのこと。

他にも、何を始めるにしてもお金は大切だけど使い方に気
を付けなければならない。どうしたら良い使い方ができるか
常に考えなければ・・・とも。

拝金主義的に、お金に使われてしまってはいけない。良い
事のためにお金を生かせというメッセージを個人的には感
じました。

何名か明治時代に活躍した資産家の方を知っているので
すが、公に対しての考え方を持っている人が多いなと感じ
ます。また、現代の人よりも厳しい考え方・生き方をしてい
ると同時に、やさしさも感じられます。

こういったお話を聞くと本当にご先祖様は後世の事を考えて
くれていたのだと頭が下がるばかりです。

〉〉引用ここまで。  

2016年05月11日 Posted by きたゆき at 21:47Comments(0)独り言

寛永通宝




寛永通宝。江戸時代に広く流通した硬貨です。親戚の家の倉庫に埃を被って数十枚おいてありました。

意外にありふれた硬貨で、稀少価値はひくいそうですが。(ものによってはすごい奴もあるらしい)

親戚の方自信も昔からある倉庫の奥底に何があるか、全部知っているわけではないとのことでした。

お宝探しとかやってみたくなります。

こういった物を残していくのも大事かなと思います。  

2016年04月09日 Posted by きたゆき at 12:58Comments(0)独り言

スタッドレスタイヤでも滑ります

スタッドレスタイヤでも滑ります。

はい。

関越道を走行していると、特にこの雪の降り始めの時期に、関東ナンバーの車が路肩に突っ込んでいるのを良く見ます。

スタッドレスタイヤがCM のように雪道でキュッと止まるなんて大嘘です。声を大にして言いたい。
CMの前に「これはイメージであり実態とは異なります」ぐらい言うべきだと思う。
それを都会の素人が過信して勘違いするわけです。


じゃあ事故に会う可能性を下げるにはどうすれば良いかですが。

まず、天気がヤバそうな時は車に乗らない。これに尽きます。特に、雪、風、寒さの内、二つ以上が重なると、そうとう危ないです。
(自分は気象庁の天気予報で雪だるまが斜めになったら運転は避けます)

チェーンの装着。スタッドレスよりは大分マシなはず。(チェーンのCM ってみないなぁ)

運転中は急~になる運転をしない。

運転中、2つ以上の動作はなるべく避ける。(車線変更しながら加速するなど)

制限速度を守る。
車間距離をいつもより多くとる。

私のブログよりも詳しいHPもたくさんありますのでそちらも参考に。

繰り返しになりますが、

スタッドレスタイヤでも滑るときは滑ります。


以上、お気をつけて。
  

2015年12月29日 Posted by きたゆき at 23:50Comments(0)独り言

水引の色

お盆も過ぎましたが、
新潟の法事ネタを一つ。







これは法事で使う御仏前の水引の色なのですが。

左が黄色と白。右が黒と白になります。

おそらくですが、黄色と白については新潟の方には見慣れたものかと思います。
逆に、関東の方だと、黄色と白は初めて見たという方もいるかもしれません。

現に私も関東の親戚の家に黄色を持っていこうとして、親戚から不思議そうに見られたことがあります。

ちなみにですが、関東(私の親戚の家の近く)で、黄色の水引を売っているお店はほとんど見かけません。

新潟だと黒も黄色も売っているのですが。


昔から京都とつながりがあったところは黄色が主流派のようです。

地区によって異なる部分もあるそうですが、法事の際には少し気をつけてみてください。  

2014年08月23日 Posted by きたゆき at 11:19Comments(0)独り言

原子力発電所の再稼働と廃炉

新潟県でも最近、原子力発電所の再稼働が問題になり、また今回の選挙の結果を受けて、気になる部分がありますので、書いてみたいと思います。

私なりの疑問をまとめると下記の通りです。
1.冷温停止状態は安全と言えるのか?
2.想定外の揺れや津波を等しく受けた福島第二原発、女川原発はなぜ無事だったのか?
3.そもそも、なぜ原子力発電所が必要になったのか?オイルショックとの兼ね合いは?
4.自然エネルギーは原子力分の電力をカバーできるか?
5.廃炉したとして廃棄燃料をどこに永久保管するのか?
6.廃炉を進める場合、上記のような問題点を精神論でなく、どこまで具体策として論理展開できているか?


「冷温停止」という言葉があります。現在の福島第2原発や女川原発と同じような状態、
要は外部電源か非常用発電機か、ともかくバックアップシステムで核燃料棒を冷やし続ける状態にするわけです。

福島第1原発はなぜ事故が起きたのか?津波で冷却用のバックアップ機能が失われたからですよね。
また、福島第一原子力発電所は日本で一番古い原子力発電所だったという事実との因果関係はないでしょうか?
現実問題として、今日明日での廃炉することは不可能です。福島第一原子力発電所と福島第二原子力発電所、女川原子力発電所を比較して設計などによる事故原因の精査を進め、より安全な原子炉の守りかたを探ることはさけられないはずです。
原発を「冷温停止」させただけで安心だというのは何か違和感を感じます。


次の段階として廃炉の作業が待っているわけですが、核燃料の最終処分場をどこにするのか?
これはまだ決まっておりません。原発の廃止のためにはこれも避けては通れません。


最近よく話題に上がる新エネルギーですが、これにもリスクがありまして。自然エネルギーの弱点は、天気の気まぐれに発電量が左右されること。需要電力に供給電力が追い付かなくなれば想定外の停電のおそれがあります。
原子力発電特性として、一定の電力を長時間供給する能力にはたけておりますが、それを不安定な自然エネルギーで置き換えられるでしょうか?



原子力発電所を造ろうと決めた当時、どのような議論があったのでしょうか?
オイルショックに関するリスクは?




当方が考えるなかで、上記のような疑問がわいてきます。
この記事のなかでは推進とも反対とも言いません。

理想だけの感情論ならだれでもなんとでも言えますが、それは現実問題にカバーをかけて問題の本質を覆い隠すことになってはいないでしょうか。


勉強し、知識を身に付け、具体策を示す議論が進むことを願ってやみません。  

2013年07月22日 Posted by きたゆき at 00:14Comments(2)独り言

今年を振り替えって

皆様いかがお過ごしでしょうか。

本年は私用により思うように更新することができませんでした。来年も月に一度更新出来るかどうかといった状況が続くかと思います。
資料収集はしておりますが、まとめの作業まで手が回っておりません…。上手くまとめられれば都度更新したいと思います。



本年は辛いこと楽しいこと盛りだくさんでした。
私のなかで一番インパクトが強かったのは初の海外旅行でドイツのハンブルクとオランダのロッテルダムに行ってきたことでしょうか。両方とも河、海を生かした港町で新潟市と似ている部分、そうでない部分、多々ありました。後々ご紹介したいと思います。


文化の荘厳さに圧倒にされるのですが、同時に我が国の先輩達はこれらの国と敵対あるいは同盟し、互角あるいは一泡ふかせ、今ではある部分において超えてしまっているのかという不思議な感覚を覚えました。

帰国後、新築の東京駅や日本銀行、新潟なら旧県会議事堂などの西洋風建築を見たときに某小説の「まことに小さな国が…」のくだりが頭をよぎりました。

やはり日本の西洋風建築物は西洋式建築ではないんだなと。西洋風和式建築なんだなと。感じました。
確かにあれで西洋式といわれれば、西洋人は笑うでしょう。(仮に西洋人が日本の真似をしたとしても、やはりそれは和式ではなく和風西洋式)


そんな風に笑われながらも不平等条約を撤廃し、西洋と互を張るレベルにまで日本をもってきた先輩方には頭が下がるばかりです。

と、同時に先輩に甘えるだけではなく、越えていかなければならないのだなと、日々勉強に励んでおります。


来年は、私的には正念場の年になるのではないかと感じています。次の一年で今後が決まるのではないかと…


すこしでも良い方向に転がるように、出来ることを精一杯やっていきたいと思います。

来年もどうかよろしくお願いします。  

2012年12月31日 Posted by きたゆき at 21:57Comments(0)独り言

祖母の戦争体験

8月ということで、今日はばあちゃんから聞いたお話。

昭和10年頃に生まれたそうです。場所は新潟市中央区信濃川の近く。

日米戦争に突入し。新潟市も規模は小さいながらも空襲を受けたそうです。
ばあちゃんの話では爆撃ではなく機関銃掃射だったそうで、家のなかでじっとしてるか防空壕に入る等の対応だったそうです。
ばあちゃんの感想ではそれほど恐怖は感じなかったとのこと。ただし、向かいの家の柱に弾が当たって、弾跡を見たとかなんとか。

信濃川で学徒生の乗った船が触雷して沈んでしまったことがあったそうなのですが、本人は話に聞いた程度だったらしいです。

8月6日に広島に新型爆弾(原子爆弾)が投下され、新潟市も狙われているという話があり、一斉に疎開が始まりました。
そして、疎開先で終戦となったそうです。

ばあちゃんがよく言うのは、特に怖いみたいな経験はなかったけど食べるものが何にもなかった、ということ。

実際、新潟市は原爆の標的にされていたのですが、天気が悪かったため落とされなかったそうです。
落とされていたら自分は恐らく生まれてなかっただろうな‥‥‥


こういう生の話を語れる体験者も段々少なくなってきてしまいます。
御祖父母がご健在なかたは、お盆休みに聞いてみてはいかがでしょうか。  

2012年08月06日 Posted by きたゆき at 23:22Comments(0)独り言

起業への違和感と地域興しイベントのモヤモヤ

ここ2~3年、モヤモヤとしていたものの答えが少し出たので書いておこうと思います。この記事は自分の事を棚にあげて話しております。ご了承下さい。

商店街の魅力とは、大手スーパーとは違った人情味というか、雰囲気というか、そういったもの。

多分、その雰囲気に引かれる人は少なくないはず。
その魅力に引かれて遊びにいく人、中に入ってイベントをする人、自ら商店街の一員として開業する人……様々な方がおります。

名目は地域興し、地域を元気にする、地域とつながる等々…


これらのキャッチフレーズ自体は間違ったものではないのですが、何か引っ掛かるものがありました。


このモヤモヤをはらすヒントの一つは、あるイベントにお客として参加した時とその後日談、もうひとつは実際に商店街で買い物をしていて気が付いた事でした。

一つ目について。
イベント名や地域の場所は伏せますがある地域の商店街と繋がりをつくろうというイベントでした。
イベント自体は大変楽しいもので、良い思い出となっております。
イベントの中でアンケート用紙の配布があり、どうしたらこの地域がもっと良くなるかといった質問がありました。
商店街を元気にするには自ら客となって買い物をするのが一番。そうおもった私はその旨をアンケート用紙に書きました。


その後、2~3年経ったある日、あのイベントがどうなったか知り合いに聞いた所、もう無くなったんだよとの旨の話を聞きました。

複雑な気分でした。

私の書いたアンケートがどう受け取られたのか。

主催者の、地域への思いはそのイベントの時だけの一瞬のものだったのか。

商店街の方も少なからず期待があり、色々とイベントとにご助力を頂いたというお話も聞いていたのですが。
残念でなりませんでした。


二つ目
地域の魅力に引かれて開業する方も中にはいらっしゃいます。商店街によってはそんな新しいお店もちらほら。
しかし、5年も経つと無くなってしまい、別のお店になってしまう場所も、良く見かけました。思い返してみれば、確かに入りにくい雰囲気というか、変な敷居の高さを感じたというか、そんなお店が消えていったきがします。

失礼を承知で敢えて申し上げれば、自分のお店を持つことが目的で、商いが目的じゃない、商売をする気が感じられないお店が長く続かないんじゃないかと感じました。


結局何が言いたかったかと申しますと、あのキャッチフレーズに違和感を感じた理由は、本当の現場を知らない人のその場の雰囲気と気まぐれで出てきたものだったからじゃないかということです。

商店街に昔からいる方は、商売の玄人ですし、生活がかかっていますから、表に出さなくとも自分の商売を気にします。

対して、いきなり起業する若者は大体の場合が商売に関してはズブの素人。自分のお店で生計をたてなければならない危機感と、どうすればお客を満足させられ且つ収入が得られるかを追及するプロ意識が欠如しているのではと感じます。

希に若くして起業に成功しているカリスマもおり、その人に影響される人もいますが、一度一般企業に入社してお金の稼ぎ方を勉強してからの起業でも遅くはないのではないかと自分は考えます。


本当にその商店街が好きで元気付けたいなら、何としてでも客足を呼び戻し、サービスを充実し商売を成功させ、この町に骨を埋めるんだというプロ意識を持って欲しいです。

それが無理でもその町が好きなら、是非商店街のお得意さんになって、沢山買い物をしていただければと思います。

いかにしてお金を商店街に呼び込むかそれが、いわゆる商店街を元気にする事の第一歩なのではないでしょうか。  
タグ :商店街


2012年03月20日 Posted by きたゆき at 00:14Comments(0)独り言

復興の共通部分

今日、東日本大震災から1年が経過しました。
無力ではございますが、せめて少しでも復興が早く進みますよう、お祈りいたします。



今日は学生ボランティアについて、思うところがありましたので、書いていきたいと思います。
どこかで誰かのお役にたちましたら幸いです。



・現場組(被災地)と後方支援組(非被災地)の温度差(現場を知っている人の方が危機感があるが、後方支援組の人に説明してもなかなか伝わりにくい)
・避難所に子供の遊び場があると助かる(両親が家の事で手一杯になってしまった時など)

・小中高生の勉強スペース及び勉強を教えてくれる人がいると助かる
・知名度の無い地名の被災地の支援が滞る
・自分のやりたい支援と被災地が求めている支援が異なる(支援者様になってしまう)
・ボランティア頼みだと支援人数が安定しない
・支援作業の後続へのスムーズ引き継ぎが難しい

・自衛隊撤収前後のギャップ(食事、風呂等自衛隊の皆様による支援のクオリティがボランティア支援と比較して高すぎるため等)
・仮説住宅でのニーズ調査
・仮説住宅でのコミュニティづくり
(どこに誰が住んでいてどんな支援が必要か調べなければならないため)


人づてに話を聞いたり、自分で携わっているうちに上記の内容はどこに行っても聞くなぁ、と個人的に感じています。

基本はケースバイケースですが、もし、共通している部分があるとすれば、避難訓練のさらに一歩先の段階として、何か事前に手が打てないかなと考えてしまいます。


あとは、学生ならではの宿命というか…。基本的に4年で卒業してしまうので、発生当初の経験者がどんどんいなくなってしまう。

今回の災害をきっかけに様々な学生団体が立ち上がりましたが、その創始の主力メンバーがどんどんいなくなってしまう。組織として残っても体験者がいなくなってしまうため、せっかくの上記の経験やノウハウが事実上リセットされてしまうことがある。

これだけたくさんの経験があるのだから、やりようによってはもっと上手く先人の経験が活かせそうな気もするのですが…

何かもったいない部分がある気がします。


経験を踏まえて学生ボランティアのレベルを上げるか、はたまたここが学生ボランティア支援に頼ることの限界点なのか、ラジオを聞きながら考えていました。  

2012年03月12日 Posted by きたゆき at 00:17Comments(0)独り言

我が越後のごとき雪の深きところなれば…

雪がひどい。雪が降って嬉しいという関東の人には、この感覚は伝わりにくいようです。
北越雪譜風に呟いてみるとこのような感じでしょうか。

ちらちらと舞散る雪の情景を儚い恋愛に例えたり、ホワイトクリスマスだなどと喜びはしゃぐのは雪の浅い国の話なり。

我が越後のごとき雪の深きところなればなんの楽しみがあろうか。バサバサと降り積もる雪を来る日も来る日も押し退け掻き分け、税金を投じて消雪パイプや除雪車を動かし、消雪パイプや融雪剤で道路は茶色、車は真っ白…


的な…

北越雪譜。面白いので、まだ読んでいない方は試してみてください。  

2012年02月18日 Posted by きたゆき at 06:46Comments(0)独り言

ボランティアと避難所

ある知人から聞いた避難所支援(ボランティア)のお話です。

知人の友達の方が新潟県内の某所で支援活動をしておりました。
春の仕事休み期間を利用して避難所で様々なお手伝いをなさっていたそうです。

地震発生直後からしばらくは周囲の人々の関心も高く、十分な人手で行き届いた支援ができたそうです。
しかし、震災から日が経つにつれて、春休みが終るなど支援者側の人の事情により少しずつ支援者人数が減っていきました。
十分な人数が集まる日も少なくなっていったそうです。

ここで、支援者と被支援者の間にすれ違いが起きてしまいました。
被支援者・避難してきた方は最初の行き届いた支援が普通の状態であると感じてしまいました。そのため、支援が十分に行き届かなくなるにつれて、不満足感を感じるようになったそうです。
一方で支援者の方はボランティアのため支援だけでは収入が全くありません。収入、家族、自分のために本業の仕事はおろそかにできません。やむなく支援活動を休む事になります。

この両者の関係が上手く行かず口論になってしまったこともあったそうです。


最近、避難所に関する報道が減ってきていると感じこの話を書きました。

ボランティアのイメージだけだと、大勢が寄って集まって全てを解決してしまうような感じがするかも知れません。
しかし、ボランティアにはボランティア故の弱点も存在します。

そういった、ボランティアの弱点や問題点がメディアを含め、もっと大きな議論になって良いかと思うのですが、なぜかボランティア最強説のイメージだけが一人歩きをしている気がします。  

2011年05月08日 Posted by きたゆき at 09:34Comments(0)独り言

祭と自粛

東京都等で震災を考慮したり電力不足で夏の花火大会やお祭りが中止になっていると聞きました。

私には祭をなぜ自粛する必要があるのか分かりません。

たとえば新潟県長岡市にはフェニックスと呼ばれる復興祈願花火があります。
市民の力で成り立つ部分が大きい祭です。
http://www.phoenix-hanabi.jp/mob/index-i.xhtml

長岡祭りは地震からの復興祈願や長岡空襲で亡くなった方への鎮魂のためのものだったと記憶しています。こんな花火・祭じゃ駄目でしょうか?


むしろ祭は自粛すべきでない。
祭は単なる人間のためのイベントではないのです。
祭の本来の意味は鎮魂やお祓い(おはらい)神様や自然への感謝、祈願等々。
今、祭を盛り上げる事は理にかなっていると私は思います。
ただ、お祭騒ぎをするだけが祭ではない。日本の祭には人々の祈る気持ちがあるのです。

今、祭をやらずしていつやるというのでしょうか?

電力不足で信号が消えたり祭の会場が暗くなって危ないという意見も聞きます。
その時は去年の祭の会場を思い出してみてください。
自動車は通行止めではありませんでしたか?
屋台や街灯には自家発電機が使われていませんでしたか?
場所にもよりますが、本当に電気がなければできませんか?  

2011年04月09日 Posted by きたゆき at 08:32Comments(0)独り言

バイオエタノールのお話

話が脈絡無飛んでスミマセンface07

数年前に関わった活動で、新潟県のある人から伺ったお話。
気になったのでバイオエタノールはエコなのか?という疑問を個人的に調べてみました。
(バイオディーゼルとは別の話になります)
自分の至った結論から申し上げますと、「使い方に次第でエコだったりそうでなかったりする」となりました。
以下のお話は盲点があるかもなので、他のサイトを比べていただけるとうれしいです。


まず、バイオエタノールがなぜ環境負荷が少ないか?
そこには「カーボンニュートラル」という考え方があります。


カーボンニュートラル
大雑把ですが・・
植物が生長する際に大気中から吸収したCO2 = 植物を燃料に変えて燃やした時に発生するCO2
となります



バイオエタノールの原料はサトウキビ、トウモロコシ、お米等ですが、植物が生長する際に大気中のCO2を吸収します。
なので、その植物燃料に変えて燃やし、CO2が発生したとしても、それは元々大気中にあったものだからCO2発生量はプラスマイナス0という考え方が「カーボンニュートラル」になります。


バイオエタノールのつくり方
基本的にはお酒によく似ています。原料となる植物を微生物の力を使って糖分に変えて、さらにまた別の微生物を使って糖分をエタノールに変えます。この微生物達にも得手不得手があって、暖かいところが好きなヤツや寒いところが好きなヤツ等奥が深いのですが・・・。ちなみに、発酵行程のためエタノールになるまでに時間がかかってしまいます。

これらのことを踏まえつつ環境に良いバイオエタノールの使い方は・・・

ポイント
~バイオエタノール製造工程で化石燃料を使わない~
化石の代替燃料をつくるために大量の化石資源を使ってしまっては本末転倒になってしまいます。
原料の植物を作るところから消費する場所に運ぶまでを考えると・・・
・植物の肥料
・農薬
・エタノール製造工場で使われる電気等
・ガソリンスタンドや上記の場所へエタノールや原料を運ぶまでに使用されるタンカーやタンクローリー等の燃料

バイオエタノールとガソリンのエネルギー

大雑把ですが、ガソリンとエタノールを燃やしたときに発生するエネルギーを比べると、エタノールの方がエネルギーが低いということが知られています。
なので、自動車燃料として使う場合、同じ距離を走るためにはガソリンよりも大量体積のエタノールが必要になります。


魅力
扱いに気を使うバイオエタノールなのですが、休耕田の保護であったり、田んぼ等の収入源になったり、自給できるエネルギーであるという魅力もあります。日本は現在のところ資源が少ないですので、エネルギーの選択肢が増えるという点でも魅力かなと思います。
他にも新潟県内では、木の廃材をエタノールにしようとする等、様々な試みもあるそうです。
個人的には地産地消するのが一番環境負荷が少ないのかなと思ったりしています。


※他にも食料地との折り合いはどうするのかとか色々あるのですが、それは別の機会に
※別件ですが、電気自動車は環境負荷0ではないと思います。必要なレアメタルの採掘や製造にかかるコスト、精錬時汚水の処理まで考えると・・・

エネルギーの選択肢が増える事は良い事と思いますが、何か1つだけで環境問題が全て解決するとは思えません。適材適所が大切かと。
  

2011年02月21日 Posted by きたゆき at 12:42Comments(0)独り言

新潟州構想について勉強 「なんとなく良い」が心配なので

新潟州構想について、ちょっと自分の勉強のために参考HPなど巡りつつ書いていこうと思います。
今後はこの件と今まで通りの放浪記がランダムに更新することになるかと思いますがご了承下さい。

新潟市HP
「県知事・市長共同記者会見 概要 平成23年1月25日」 http://www.city.niigata.jp/info/koho/kaiken/110125gaiyo.htm#01
「質疑応答」 http://www.city.niigata.jp/info/koho/kaiken/110125gaiyo2.htm
この中から個人的に気になった事・疑問を持った事を書いていきます。あくまでも個人的になので・・・
興味がある方は本文を読んでみてください。


東京都の特別区制を参考にするらしい。市長さんは東京都の区は自立度が低いと言っている。新潟は東京都の区よりも権限を持ちたい。
 〜東京は首都だし日本人外国人問わず沢山の人が出入りするし、その数は新潟の比ではないはず。そんな新潟で東京都以上に必要な権限ってなんなんだろう?

県政と政令市新潟市を合体させて行政の効率化をはかりたいらしい。
 〜記者会見の文章を読んでいただければ分かるのですが、新潟県内、新潟市以外の他の自治体のお話が殆ど出てこない。過疎化と農業後継者が心配な地方の地方はどうなるのだろう?

日本海側拠点とか田園型都市とか・・・
 〜田園型都市新潟市を目指すというスローガンはよく聞きます。後述する県知事さんのメルマガでの農地法の下りが良くわかりません。何が駄目だったのでしょう?
 〜日本海側拠点についての心配は言わずもがな。領事館問題、尖閣諸島問題、etc ちなみに国土交通省のホームページで日本海側拠点をどこにするかというものを見つけました。新潟港も入っています。
   「国土交通省HP」http://www.mlit.go.jp/report/press/port04_hh_000020.html

続きまして


「新潟県知事 泉田裕彦のメールマガジン  たがいに にいがた」
http://chiji.pref.niigata.jp/2011/02/post-9ed8.html
この中で気になったことは・・・

国の法律を変えないと新潟州構想は実現できない

農地法の県の権限を市に移そうをしたら国が駄目って言った
 〜具体的になんの権限なのかはわからないのでなんともいえないのですが、なんとなく気になったので。



ただ、あくまでも個人的に一番の気になるのは新潟県の方々が、心の底から、新潟州構想を積極的に望んでいるのか?ということ。
積極的な声が上がって、市や県が「じゃあやるか」となれば分かるのですが、
あくまでも自分の周りで、「法律を変えてでも、絶対に新潟州が必要だ!」という意見は聞きません。
どちらかというと「新潟州?よくわかんない。今より良くなればなんでもいいよ」といった感じ。
上記のサイトを見ていても、知事さんも市長さんもこれから県民市民を説得にまわるとのことですが・・・なんだかちぐはぐな感じです。

「なんとなく上の人が言うんだからいいや」という選択をするのが非常に心配です。
私の周りの話なので、他の方は違うかもしれませんが。

ラスト
東京都HP 「都と特別区」
http://www.metro.tokyo.jp/PROFILE/SHIKUMI/shikumi_08.htm
都の中の特別区(23区)が優遇される部分があるみたいです。
明日もうすこし詳しく読んで見ます。

今日はここまで。  続きを読む

2011年02月07日 Posted by きたゆき at 19:36Comments(3)独り言