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せつなげな顔

せつなげな顔




「腰が痛いのが治らなくて…」
「インフルエンザで熱が下がらなくて…」

「そら、せつねぇのぉ」

という時に新潟のお知り合いがよく使う「せつない」という言葉なのですが、よくよく聞いてみると、「切ない=悲しい」という意味ではなく、「せつない=しんどい」という意味の新潟弁ということが、後れ馳せながら分かりました。

新潟県外の方が上記の会話を聞くと、
「自分の辛さが回りに理解されず、悲しい、可哀想」
↓こんな顔


…という印象を受けることが多いかと思います。
しかし、新潟弁では単純に「しんどい」の意味で使われることがあります。

知人が「せつねかったね」をよく使うので県外育ちの私には最近まで少し違和感があったのですが、話を聞いて納得しました。
そんな連休後半でした。
  

2017年05月07日 Posted by きたゆき at 00:58Comments(2)県外から新潟を見ると

最上義光公のこと

山形市の礎をつくった最上義光公。
山形市に記念館があり、伺ってまいりました。
ボランティアガイドの方のわかりやすい案内と説明にかなり助けられました。

で、この方と新潟に何の関係がということなのですが、
大雑把には現在の山形県にあたる地域の覇権を、
越後上杉氏などと争った方になります。

このあたりのながれについては、伊達氏、大宝寺氏、上杉氏などが複雑に絡んでくるため、
大雑把な説明になりますが、興味があるかたは調べてみてください。

いかにも戦国時代らしい、政略、謀略、裏切りなどの駆け引きがありました。

この最上義光公が直接あるいは間接的に戦った上杉家の家臣は、
現在の新潟県村上市にある村上城にゆかりのある本庄繁長公と
直江兼続公になります。

本庄繁長公は当時庄内にいた大宝寺氏と仲が良く、
庄内の覇権をねらう最上義光公に対して大宝寺氏を支援しています。
繁長公自身は当初、新発田重家公のとの戦いで身動きが取れなかったせいで十分な支援ができず、
庄内の覇権は一度は最上義光公のものとなります。(1580年代)

しかし今度は、伊達氏と最上氏の戦いがはじまり、
この隙を狙って上杉方の本庄繁長公が庄内に侵攻し奪還します。



時代は関ヶ原合戦のあたりまで進みます。(1600年頃)
某ドラマで記憶されているかたもいるかと思いますが、
上杉景勝公は関ヶ原では西軍につきました。
一方の最上義光公は東軍につき、関ヶ原の戦いの地方戦として、
上杉方の直江兼続公と最上義光公が再び山形で激突します。
長谷堂城の戦いと呼ばれる戦いで、直江兼続公率いる約2万の軍勢にたいして
最上軍は7千程度で防衛に当たり、上杉軍を退けました。

これらの覇権争いが行われた地域には、
最上川と酒田港という物流の要があったため、魅力がある場所だったそうです。


この後、上杉家は東軍に逆らったため、米沢へ転封。
最上義光公は功を認められ山形藩57万石の大名となったそうです。
(米沢藩と山形藩は地図でみると境界が接しているし、米沢藩の南は会津藩だし、米沢の上杉氏もなかなか落ち着かない場所だったでしょうか)


これだけ聞くと最上義光公は戦人のようなイメージをもつのですが
連歌の心得があったり、山形の街の基礎をつくったりと文武両道の優秀な方だったようです。

戦国時代の話となると相手のいる話になるので、新潟県内を回っているだけでは
なかなか真相にはたどり着けません。
今回の旅は良い勉強になりました。


  

2015年05月05日 Posted by きたゆき at 22:40Comments(0)村上市県外から新潟を見ると

大谷石採掘場 栃木県宇都宮市

今回も少し前の写真。
栃木県宇都宮市にある大谷石の採掘場です。


この場所での大谷石の採掘はないそうですが、
他の場所では今でも採掘は実施されています。

大谷石は家の軒先の塀によく使われる石です。


で、採掘が終わった現場が現在どのように利用されているかというと・・・






なんとも幻想的。

採掘場の年間平均気温は8℃以下とのこと。

これを利用して、天然の冷蔵庫にしてみたり、映画のロケ場、美術館、コンサートホール、結婚式場、などなど
幅広く活用されているそうです。

前回ご紹介した足尾銅山や、私が以前に行った佐渡の金山はどこか暗い過去があって、
どうしても鬱々とした雰囲気が出てきてしまうのですが、
この大谷石の採掘場跡に関しては、なにか明るさのようなものを感じました。

鉱山というと日本の発展を支えて犠牲になった~のようなストーリーが決まりがちな部分はありますが、
それはそれとして、大谷石採掘場のような場所を見ると、鉱山跡でも何か工夫すれば新たな価値が見いだせるのではないか・・・
と感じてしまう部分もあります。


  

2014年06月30日 Posted by きたゆき at 11:09Comments(0)県外から新潟を見ると

足尾銅山 新潟との繋がり

これはかなり前の話になりますが、
足尾に行ってきた時の写真です。



写真右が足尾銅山の精錬所の跡です。





写真に写っている山を見ると、木が生えていない部分が結構あります。




銅山の場所は栃木県西部の旧足尾町です。現在は日光市の一部になっています。

銅山の歴史は古く、江戸時代ころまでさかのぼります。
当時の銅の産出量はなかなかのもので、江戸時代に使用されていた銅貨のうち、足尾で鋳込まれた
銅貨は、「足」の鋳出し文字があるそうです。

大正時代の足尾町は宇都宮に次ぐ人口規模だったそうです。

鉱毒事件については他で詳しく紹介されておりますので深くは触れません。
銅の採掘は昭和の中期~後期頃まで続いていたそうです。


この銅山と新潟との関係についてですが、

あまり有名ではありませんが、新潟県の現阿賀町、鹿瀬にも銅山がありました。
名前を草倉銅山と言います。
江戸時代の会津藩領時代から大正時代ころまで銅の採掘が行われていました。

言ってしまうと、この草倉銅山の経営者と足尾銅山の経営者が実は同じ人だった
ということが、新潟と足尾の繋がりになります。
草倉銅山の閉山後、鉱夫達は足尾に移動して働いていたと記載されている資料もあります。

というようなことを足尾銅山に行って初めて知りました。

いずれ草倉銅山にも偵察に行ってこようかと思います。

次回の投稿はまた別の鉱山?のお話になります。
  

2014年06月27日 Posted by きたゆき at 20:18Comments(0)県外から新潟を見ると

天香山神様の生まれ故郷 (和歌山県 新宮市 神倉山)

弥彦神社の御祭神、天香山神様の出身地と言われている場所に行って参りました。
場所は和歌山県新宮市、神倉山という場所にある、神倉神社です。
この神社の御祭神は高倉下神様ですが、この神様こそが天香山神様と言われております。
日本書紀では、神武天皇の東征の際、布都御魂の剣を天皇に献上したことで知られる神様です。
その功績から、神武天皇より越の国を治めるようにいわれたのがルーツと言われています。

神倉神社はこんなところです。
ものすごく急な石段を登って行きます。





お祭りの際はこの石段を松明を持った男衆がかけ降りるらしい。

山を登ると見晴らしのよい高台にでます。
新宮市の町並み。



写真右上の岩が御神体だそうです。


弥彦神社の御守りを持って参拝してきました。  

2013年07月16日 Posted by きたゆき at 01:12Comments(0)県外から新潟を見ると

上野公園と雪割草

上野公園をぶらぶらしてきました。
関東は暖かいですなぁ。

道端に、ふと雪割草を発見。






何でこんなところに雪割草が?
花壇の看板によると、五泉の辺りの方が植えたものらしい。


花壇の上の方に行くと大仏様のお顔が。
上野大仏(これ以上首が落ちない事から受験の守護仏…でしたっけ?)
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%A4%A7%E4%BB%8F

隣の立て看板


ピンぼけ(-o-;)

看板を読んでびっくり。
この大仏様を最初につくったのは、村上藩の殿様の堀直寄公。
この辺りは堀直寄公の住まい?があったそうです。

直寄公縁の藩として、村松藩もありますが、縁の方が雪割草を植えられたのでしょうか。  

2012年03月29日 Posted by きたゆき at 22:05Comments(0)県外から新潟を見ると

これも新潟産?

先日の石油のお話に引き続きまして本日も石油関係のお話です。

新潟県内の駅でこんな気動車を見かける事はありませんか?





機会があったら、連結部分付近の車両の外壁を観察してみてください。そこには意外な文字が・・・
もし旅行先で気動車を見つけたときは、ちょっと注意してみてみて下さいface01
全国各地ほとんどの気動車に同様の文字がみられるかと思います。
新潟が石油とその関連で栄えていた証拠がここにあります。  

2010年11月04日 Posted by きたゆき at 14:46Comments(0)県外から新潟を見ると

山口県 萩市へ

先日、山口県萩市へ行ってきましたface01

龍馬伝でも活躍している吉田松陰先生、高杉晋作さん、桂小五郎さんの生まれ故郷でもあります。

吉田松陰先生の神社



















一年間に600百冊も本読んだり、日本中に留学したり。新潟や佐渡相川にも立ち寄ったことがある
のだそうです。
30歳の短い生涯でしたが、獄中でも猛勉強していたそうです。
ちなみに、新潟県長岡市の小林虎三郎さんと吉田松陰先生は佐久間象山先生の門下生で、共に
象山門下の 二虎 と呼ばれていたそうです。

松下村塾の門下生だった高杉晋作さんや桂小五郎さんが住んでいた町は・・・
















































みかんがなっていました。有名だそうです。
他にも沢山の志士、明治の偉い人の生家が残っていました。


大砲を鋳造する場所と大砲。





































幕末から、外国との下関戦争、長州征伐、明治時代に入ってからは奇兵隊の反乱、萩の乱
と様々な事件があった町なのですが、いまはそれを微塵も感じさせないような、落ち着いた
素敵な雰囲気の町でした。
あ、港町なので住吉様のお祭りもあるそうですよ。



関連記事
長岡城
鹿児島県
住吉様

PS街中を歩いていてふと気がついたのですが、「龍馬伝」とかかれた幟(のぼり)が
自分が歩いた限りでは一本も見当たりませんでした。  

2010年09月28日 Posted by きたゆき at 18:04Comments(0)県外から新潟を見ると

東京の官公庁舎など

唐突ですが最近、東京を見る目が変わってきました。
以下、東京丸の内周辺のお洒落な建物です。

法務省旧本館:平成に改築~


明治生命館:昭和初期~


日本銀行:明治時代~


東京は鉄筋コンクリートの建物と人がごみごみしているだけではないんです。

機能性、実用性、コストだけを考えた場合、こんなに手の込んだ装飾は必要ないと思います。
でも、効率だけを考えて造られた建物を見たときに、感動したりすることはあまりないのではないでしょうか・・・
まして、効率重視で造られた建物が劣化したときに後世に残そうと思う人は少ないのかなと思います。
残すということが非効率な行為となることもあるので・・・

効率化、合理化、無駄を省く事。大切な事ですが、行き過ぎると味気ない世の中になってしまう気がします。
だんだん余裕もなくなってくるかも。「無駄」というのは、見方を変えれば「余裕」とも見られるかも。

萬代橋の項にも似たような記事があったのでこちらも宜しくお願いします
http://yukiyakonkon0809.niiblo.jp/e21618.html
  

2010年03月18日 Posted by きたゆき at 17:11Comments(0)県外から新潟を見ると

大倉集古館in東京

日本最初の私立美術館。これを造ったのは大倉喜八郎さん、江戸時代後期生まれ、新潟県新発田市出身です。

能面、能の衣裳、刀、掛け軸、仏像等様々なものが展示されていました。
美術館ができたきっかけは、文化財の海外流出を食い止めるために、美術品の収集を始めたことだそうです。

西洋の人々には、能面や着物等の文化は珍しがられたそうで、昔は海外で美術展を開いたこともあったのだとか。

能など難しいかもしれませんが、そこにある思想や価値観を勉強して、海外の人に説明して感動させる。

そんな外交方法もあるのかなと感じました。


  

2010年03月10日 Posted by きたゆき at 16:45Comments(0)県外から新潟を見ると

明治神宮

先日、明治神宮に行ってきました。
祀られている神様は明治天皇です。


奉納されたお酒がおいてありました。銘柄は伏せますが、新潟県のお酒もちらほら・・・
ちょっとうれしかったですface01
亡くなった人間が神様に祀られていると違和感を感じる人がいるかもしれません。
しかし、この文化は日本に昔からあるものだとご存知でしょうか?
お怒りを静めるため、ご利益を得るためなど目的は様々ですが・・・・

例えば、天満宮の菅原道真公は死後のお怒りを静めるためにお祀りされました。
武田信玄公や上杉謙信公も、それぞれ武田神社、上杉神社に祀られています。
現代でも、例えば警察官が殉職すると、階級が上がるというのも、これに関係しています。

昔の方は現在の人よりも、ご先祖様に対する感謝が大きかったのかなと感じましたface01  

2010年03月08日 Posted by きたゆき at 18:12Comments(0)県外から新潟を見ると

豆もちです

豆もちです。



え?色がおかしい?腐ってる?
いえいえちゃんと食べられます。icon28
この豆もちは栃木の親戚の家から毎年もらっているものです。
おもちに海苔を混ぜているので、全体的に緑色になります。
豆は落花生を使っています。
私にとって豆もちというと写真のおもちの印象が強いです。

ちなみに、きなこの色って何色ですか?緑ですか?黄色ですか?
私の実家は黄色が主流です。




  

2010年01月08日 Posted by きたゆき at 09:35Comments(4)県外から新潟を見ると

長崎港

長崎の港の周辺



新潟の港と違って湾の港です。地の利を生かしています。

昔は出島があったりして港としての歴史も古いです。外国船籍の船、外国人の領事館など西洋風の建物も沢山ありました。

自分はこれで、函館、新潟、横浜、神戸、そして長崎と開港5港に全て行きましたface02

・・・どうもこれらの都市の中で新潟ってちょっと特殊な気がします。他の4都市は港と町が一体になっているような印象をうけます。新潟港は新潟西港と東港に分かれていて、市街地から離れた東港の方が産業港、工業港という港としての大事な役割を担っている感じを受けます。

分かれているところが良い部分もありますし不便な事もあるのでどちらが良いかは分かりませんが。

  
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2009年10月08日 Posted by きたゆき at 13:45Comments(0)県外から新潟を見ると

桜島と薩摩藩

九州旅行の続きです。



仙巌園という薩摩藩の藩主の別邸のお庭と桜島です。敷地の中には、庭園、邸宅の建造物の他、大砲の鋳造所跡、水力発電の小さなダムの跡などがありました。幕末に島津の殿様が行った近代化事業の一環で作られたものだそうです。

自前で大砲を作ったり、エレキテルの研究ができるような藩と、越後の長岡藩は幕末に戦ったんですね。
  

2009年10月06日 Posted by きたゆき at 10:27Comments(0)県外から新潟を見ると

福岡市街

仕事やら遊びやらでちょっとばたばたしておりまして、久々の更新です。
SWは全て使って九州の方に行っていました。帰ってきてからは工場見学の引率補助などの仕事があり、土日は完全に体力切れでしたicon11

今回は、福岡市街の写真です。



熱気に圧倒されました。ちょっとお洒落な飲み屋、定食屋、ギャンブル、夜のお店、屋台、などが一つの通りに隣り合って並んでおり、何でもありの町という印象でいしたface08

東京だと、若者の町、学びの町など分野ごとに?お店がかたまるような印象を受けますが、福岡市中心部は本当にそういったジャンル分けというものがないかのような感じでした。

食事は最高でしたが、かなりのカルチャーショックで、初日の夜は若干のホームシックでしたface07

まだまだ私も井の中の蛙のようです。



  
タグ :商店街


2009年09月28日 Posted by きたゆき at 15:26Comments(4)県外から新潟を見ると

函館港

 函館に行ったのは2年前の冬。青春18切符で行きました。



 新潟港ほど大きな港町ではないですが、洋館、市場、函館山の夜景、五稜郭など見る場所が沢山あって楽しかったですface01市場の活気に驚きました。売り言葉が上手で、油断しているといつのまにか買ってしまうような・・・・新潟市近辺の市場の雰囲気とは全く異なるものでした。商売相手が地元の人ではなく観光客だからでしょうか?
 試食させていただいたものは、めちゃくちゃおいしかったですface05

 函館港も今年で開港150周年だそうですicon19
   
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2009年07月01日 Posted by きたゆき at 15:22Comments(2)県外から新潟を見ると

横須賀港

  3年前に横須賀に行ったときの写真です。トンネルを抜けるとそこは・・・



  いや~びっくりしました。目の前にいきなりこんな船が並んでいるんですからface08

  横須賀は海上自衛隊とアメリカ軍の軍港になっています。自衛隊がいる港は外から丸見えなのですが、アメリカ軍の基地は全く外から見えないようになっていました。

  町並み、商店街には外国人用の大きめのサイズの服屋さんが結構並んでいたり独特の雰囲気でした。

  三笠公園には日露戦争の時の日本海軍の旗艦の戦艦三笠があって、内部は資料館になっていました。

  一口に港町といってもいろいろな町があるようです。icon19  
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2009年06月29日 Posted by きたゆき at 10:42Comments(0)県外から新潟を見ると

横浜港

 港町関連ということで、2年前の冬に横浜に行ってきたときの写真です。face01



 今年で開港150周年なんですね。当時はここも、小さな漁村だったそうなのですが、開港してから大きく発展したと、開港資料館で知りました。新潟港と比べてしまうと、物流や港の規模も比べものにならないぐらい大きいです。いろいろなものがありました、赤レンガ倉庫、夜景、外国人居留地、西洋建築の建物、中華街・・・。領海侵犯した某国の不審船がそのまま展示されていたのにはさすがに度肝をぬかれましたが・・・・icon11
 
 江戸時代は鎖国していた日本ですが、開国しなければ世界の帝国主義政策の荒波の中では、独立して生き残ることは難しかったのでしょう。当時の日本人にはペリー提督や、黒船は驚異だったのでしょうか?開港資料館には、鬼・天狗のような顔のペリー提督の似顔絵が飾ってありましたface08。昔の日本人が描いたものです。

 港町横浜は、そんな世界の荒波をもろに受けたところ、その荒波を現在でも食い止めているところといった気がします。

  
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2009年06月25日 Posted by きたゆき at 12:05Comments(0)県外から新潟を見ると

竿燈祭り

 この写真はご存知の方も多いでしょうか?去年、秋田に竿燈祭りを見に行ったときの写真です。
当時、デジカメを持っていなかったので携帯カメラで頑張りましたicon11画像粗し・・・



 ものすごい迫力でした。この竿燈を額や肩や腰にのっけて「どっこいしょどっこいしょ」の掛け声の嵐でしたface08さらに感動したのが、幼稚園ぐらいの方まで専用の小さな竿燈を大人と同じように扱っていたことですface10

 昔も今も、このお祭は米どころ秋田の、その年の豊作を神様に祈願するためのものだそうです。昔ながらの祭り(祀り?)ですよね。竿燈も稲穂をかたどったものだそうで、よく観るとだんだん稲穂に見えてきませんか?face02

 と、ここまできて疑問を感じたのは、新潟も米どころなのに竿燈祭りのような豊作祈願の大規模なお祭りをしているという話をあまりきかないなということです。三条の知り合いの家の近くでは、ご近所であつまって豊作祈願の儀式?のようなことを行うという話は聞きましたが・・・新潟祭りは住吉神社のお祭りと商工祭と川開きを一つにまとめたものですし、長岡の花火は空襲や地震からの復興を目指すものだと伺いましたし・・・・新潟の稲作の歴史は秋田に比べて新しいからでしょうか。

  
タグ :城下町


2009年03月06日 Posted by きたゆき at 11:06Comments(2)県外から新潟を見ると