スポンサーリンク
上越祭りin高田
先日、上越祭りに行ってきました。祗園祭とも呼びます。
直江津にある八坂神社のお祭りです。神社の神様は須佐之男命 と櫛名田比売命、そしてその子供達です。須佐之男命は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の神話で活躍しました。
祇園祭は京都で平安時代のころから始まったと言われています。当時は天災や疫病の蔓延は、非業の死を遂げた人々の祟りだと考えられていました。その霊魂を鎮めるために始まったお祭りだそうです。
そういった考え方が世に広まり、各地に須佐之男命を祭る神社が建ちました。直江津の八坂神社もその一つと考えられます。
江戸時代、高田藩がこの地域を支配するようになったときに、直江津の八坂神社のお神輿が高田までやってくるようになりました。
当時の殿様はお米を神社に送って国家の安泰を祈願したのだそうです。
(他にも神仏習合、神仏分離で神様の名前が変わったりしていますが、メチャメチャ長いお話になるので後日・・・)
夜になって、八坂神社のお神輿を外にそのまま放置するわけにはいかないため、写真のような仮のお社を建てて安置します。
今年も平穏無事でありますように
残念ながら、「みこし川下り」 「おせん米奉納」は都合が悪くて今年も見に行くことができませんでした。花火大会も都合が合わず
・・・来年は休みを取って泊り込もうかしら・・・
直江津にある八坂神社のお祭りです。神社の神様は須佐之男命 と櫛名田比売命、そしてその子供達です。須佐之男命は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の神話で活躍しました。
祇園祭は京都で平安時代のころから始まったと言われています。当時は天災や疫病の蔓延は、非業の死を遂げた人々の祟りだと考えられていました。その霊魂を鎮めるために始まったお祭りだそうです。
そういった考え方が世に広まり、各地に須佐之男命を祭る神社が建ちました。直江津の八坂神社もその一つと考えられます。
江戸時代、高田藩がこの地域を支配するようになったときに、直江津の八坂神社のお神輿が高田までやってくるようになりました。
当時の殿様はお米を神社に送って国家の安泰を祈願したのだそうです。
(他にも神仏習合、神仏分離で神様の名前が変わったりしていますが、メチャメチャ長いお話になるので後日・・・)
夜になって、八坂神社のお神輿を外にそのまま放置するわけにはいかないため、写真のような仮のお社を建てて安置します。
今年も平穏無事でありますように
残念ながら、「みこし川下り」 「おせん米奉納」は都合が悪くて今年も見に行くことができませんでした。花火大会も都合が合わず
・・・来年は休みを取って泊り込もうかしら・・・
2010年07月27日 Posted by きたゆき at 18:52 │Comments(0) │高田
高田城跡2
高田城の復元された三階櫓。
高田藩は、佐渡からの金銀の輸送、加賀の前田氏の押さえ等重要な役割を担う藩だったようです。藩主は松平氏、後に榊原氏。榊原氏は徳川四天王とも呼ばれた名家だそうです。結構すごいぞ高田藩。
明治維新の後は、火災や廃城令などで建造物は無くなってしまい、陸軍の駐屯地となるときに城の堀の大部分を埋めてしまって、今の形になったのだそうです。
陸軍の駐屯地となる際に陸軍の偉い人がソメイヨシノを沢山植えたのが、高田城の桜の始まりとなっています。
高田藩は、佐渡からの金銀の輸送、加賀の前田氏の押さえ等重要な役割を担う藩だったようです。藩主は松平氏、後に榊原氏。榊原氏は徳川四天王とも呼ばれた名家だそうです。結構すごいぞ高田藩。
明治維新の後は、火災や廃城令などで建造物は無くなってしまい、陸軍の駐屯地となるときに城の堀の大部分を埋めてしまって、今の形になったのだそうです。
陸軍の駐屯地となる際に陸軍の偉い人がソメイヨシノを沢山植えたのが、高田城の桜の始まりとなっています。
2009年09月03日 Posted by きたゆき at 10:22 │Comments(0) │高田
高田城跡
最近、城跡の書き込みが続いています。3年前に高田城跡に行ってきたときの写真です。このときは一人旅ではなく、桜を目当てに行ったので他の場所はまったく見ていません。
人は沢山出ていましたが桜はきれいでした。自分は団子より花なのでひたすら見とれていました。花見にアルコールは必要ないなと思うのは自分だけでしょうか?(へそが曲がってます)是非今度は高田の町も歩いてみたいなと思います。
人は沢山出ていましたが桜はきれいでした。自分は団子より花なのでひたすら見とれていました。花見にアルコールは必要ないなと思うのは自分だけでしょうか?(へそが曲がってます)是非今度は高田の町も歩いてみたいなと思います。