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弥彦神社叢書
弥彦神社叢書なる本を見つけました。
天香山命のご兄弟や親戚、弥彦神社の由緒、年中行事、江戸時代の造営の記録などが事細かに書かれています。
文章自体は漢文、古文などが原文?で書かれており、解読するのに一苦労です。
今は由緒の部分を読んでおりますが、古事記、日本書紀を片手に解読しています。何せ知らない神様が沢山出てくるもので。
ライフワークにしても良いかもです。
なにか興味深いことがあったら報告します。
天香山命のご兄弟や親戚、弥彦神社の由緒、年中行事、江戸時代の造営の記録などが事細かに書かれています。
文章自体は漢文、古文などが原文?で書かれており、解読するのに一苦労です。
今は由緒の部分を読んでおりますが、古事記、日本書紀を片手に解読しています。何せ知らない神様が沢山出てくるもので。
ライフワークにしても良いかもです。
なにか興味深いことがあったら報告します。
2014年12月12日 Posted by きたゆき at 00:42 │Comments(0) │弥彦村
弥彦神社 燈篭奉納(平成22年)
先月のお話になりますが・・・
弥彦神社の燈篭奉納に行ってきました。7月25日です。
今回はふらりと立ち寄ったらたまたまお祭りの日だった
ので最初から最後まで見ることができませんでした
・・・次回こそは。
参道の両脇に灯籠が並びます。様々な企業の名前、奉納した方の名前が書いてありました。
案内の看板に「神楽奉納」と書いてありました。その時の写真です。
お面を被った方がこの後、釣竿を持って吹流し状の大魚を釣り上げるのですが、
演技が面白おかしくて楽しかったです
つれの友人は「たいさま」と言っていました。(漢字がわからない)
三条市の方でも時々見ると聞きました。
主要なお祭りや神事は夜の9時や早朝に行われると書いてありました。
いつか見に行ける日が来るといいな
燈籠まつりについて調べたのですが、1000年以上前から続くお祭りということしか
分かりませんでした。
弥彦村は奥が深いです。
弥彦神社の燈篭奉納に行ってきました。7月25日です。
今回はふらりと立ち寄ったらたまたまお祭りの日だった
ので最初から最後まで見ることができませんでした
・・・次回こそは。
参道の両脇に灯籠が並びます。様々な企業の名前、奉納した方の名前が書いてありました。
案内の看板に「神楽奉納」と書いてありました。その時の写真です。
お面を被った方がこの後、釣竿を持って吹流し状の大魚を釣り上げるのですが、
演技が面白おかしくて楽しかったです
つれの友人は「たいさま」と言っていました。(漢字がわからない)
三条市の方でも時々見ると聞きました。
主要なお祭りや神事は夜の9時や早朝に行われると書いてありました。
いつか見に行ける日が来るといいな
燈籠まつりについて調べたのですが、1000年以上前から続くお祭りということしか
分かりませんでした。
弥彦村は奥が深いです。
タグ :祭
2010年08月17日 Posted by きたゆき at 14:26 │Comments(0) │弥彦村
新嘗祭
弥彦の記事が続きます。11月23日の新嘗祭の写真です。
絵馬が飾ってある建物に奉納米がおいてありました。どこから奉納されたものか見てみると、北は村上市から南は上越市まで、新潟県内の広い地域からお米が集まってきていました。お米の品評会もやっていたようです。
お米が集まってくる範囲が広くて驚きました。昔からこのような感じなのでしょうか?
11月23日の記事と併せてお読みください。
http://yukiyakonkon0809.niiblo.jp/e40789.html
絵馬が飾ってある建物に奉納米がおいてありました。どこから奉納されたものか見てみると、北は村上市から南は上越市まで、新潟県内の広い地域からお米が集まってきていました。お米の品評会もやっていたようです。
お米が集まってくる範囲が広くて驚きました。昔からこのような感じなのでしょうか?
11月23日の記事と併せてお読みください。
http://yukiyakonkon0809.niiblo.jp/e40789.html
タグ :祭
2009年12月01日 Posted by きたゆき at 10:35 │Comments(0) │弥彦村
弥彦山登山
11月23日に登山道から弥彦山に登りました。思ったよりきつかった・・・
写真は山の上のロープウェイ乗り場から海の方向を撮ったものです。ちょうど運悪く雲がかかってしまいました・・・
登山道は整備されている場所がほとんどなのですが、場所によってはぬかるんでいたり、岩肌で歩きにくいところもありました。
所々に椅子のある休息場所はあるのですが屋根のある場所は少なかったです。当たり前ですが、登山するなら、なるべく天気の良い日を選びましょう。
登山途中の紅葉がきれいでした。他にも珍しい植物があるそうですが、自分は足元を注意するのに精一杯で探している余裕はありませんでした残念・・・
そんな登山道を足元に注意しながらえっちらおっちら・・・・1時間ぐらいで9合目のロープウェイ乗り場に着きました。
帰りはロープウェイで下山しましたが、その早いこと! 5分ぐらいで降りてしまいました。登山の苦労は何だったのかとちょっと思ったりもしましたが・・・・
とりあえず無事に帰れてよかったです。
写真は山の上のロープウェイ乗り場から海の方向を撮ったものです。ちょうど運悪く雲がかかってしまいました・・・
登山道は整備されている場所がほとんどなのですが、場所によってはぬかるんでいたり、岩肌で歩きにくいところもありました。
所々に椅子のある休息場所はあるのですが屋根のある場所は少なかったです。当たり前ですが、登山するなら、なるべく天気の良い日を選びましょう。
登山途中の紅葉がきれいでした。他にも珍しい植物があるそうですが、自分は足元を注意するのに精一杯で探している余裕はありませんでした残念・・・
そんな登山道を足元に注意しながらえっちらおっちら・・・・1時間ぐらいで9合目のロープウェイ乗り場に着きました。
帰りはロープウェイで下山しましたが、その早いこと! 5分ぐらいで降りてしまいました。登山の苦労は何だったのかとちょっと思ったりもしましたが・・・・
とりあえず無事に帰れてよかったです。
タグ :観光
2009年11月27日 Posted by きたゆき at 14:44 │Comments(0) │弥彦村
新潟の鶏
先日、秋田に行ってきました。秋田といえば比内鶏で、鶏を見られる場所に行ってきたのですが、展示パネルに国の天然記念物の鶏一覧というのがあり、「新潟 トウマル」という表示があるではありませんか。調べてみると原産地が新潟県の山間部だそうで長い声で鳴くのが特徴の鶏だそうです。また、羽を飾りに用いることが多いそうです。そういえば弥彦神社の敷地に日本鶏の保存をしている場所がありました。ここでの保存種はトウマルだけではないようですが。
時代劇などで、罪人を運ぶときの竹かごを唐丸籠と呼びますが、トウマルを育てるときの籠に形が似ているのでその名がついたのだとか。
追記 平成21年11月23日
上記の記事に誤りがありましたので、訂正します。
新潟県産の鶏は正しくは蜀鶏(とおまる)と呼びます。唐丸籠で有名なのは「大唐丸」という鶏で、新潟県産の蜀鶏(とおまる)とは一切関係がないそうです。弥彦神社内の鶏舎の看板に書いてありました。
大変失礼致しました。
時代劇などで、罪人を運ぶときの竹かごを唐丸籠と呼びますが、トウマルを育てるときの籠に形が似ているのでその名がついたのだとか。
追記 平成21年11月23日
上記の記事に誤りがありましたので、訂正します。
新潟県産の鶏は正しくは蜀鶏(とおまる)と呼びます。唐丸籠で有名なのは「大唐丸」という鶏で、新潟県産の蜀鶏(とおまる)とは一切関係がないそうです。弥彦神社内の鶏舎の看板に書いてありました。
大変失礼致しました。
2009年05月11日 Posted by きたゆき at 14:07 │Comments(3) │弥彦村
弥彦神社の鹿
弥彦神社には鹿園があります。
なんで神社に鹿がいるのか不思議に思って調べてみたら、、そのつながりは弥生時代にまでさかのぼる。弥生時代のころ、 鹿は霊獣として儀式(豊作祈願など)の生贄にされたりしていた。時代が進むにつれて神様の乗り物、神様のお使いといわれるような存在になったそうだ。
江戸時代では神鹿を殺すことは重罪であり、やらかした者は死罪だったそうだ。おそろしや・・・・
住む場所や時代によって評価もかわるものですね。
なんで神社に鹿がいるのか不思議に思って調べてみたら、、そのつながりは弥生時代にまでさかのぼる。弥生時代のころ、 鹿は霊獣として儀式(豊作祈願など)の生贄にされたりしていた。時代が進むにつれて神様の乗り物、神様のお使いといわれるような存在になったそうだ。
江戸時代では神鹿を殺すことは重罪であり、やらかした者は死罪だったそうだ。おそろしや・・・・
住む場所や時代によって評価もかわるものですね。
タグ :観光
2009年05月04日 Posted by きたゆき at 09:00 │Comments(0) │弥彦村
弥彦神社のいろいろ
弥彦神社です。とてもお世話になっております。
ここでデートをした二人は別れるという噂がありますが、噂の始まりは弥彦が北国街道の宿場町として栄えた江戸時代に、宿場の遊女が旅人を宿屋に引き止めるために作った嘘だという話を聞きました。伝統ある噂話なんですね。
素朴な疑問、弥彦は中越なのでしょうか?下越なのでしょうか?はたまたグレーゾーンなのでしょうか? 議論を呼びそうですが気になります・・・・
ここでデートをした二人は別れるという噂がありますが、噂の始まりは弥彦が北国街道の宿場町として栄えた江戸時代に、宿場の遊女が旅人を宿屋に引き止めるために作った嘘だという話を聞きました。伝統ある噂話なんですね。
素朴な疑問、弥彦は中越なのでしょうか?下越なのでしょうか?はたまたグレーゾーンなのでしょうか? 議論を呼びそうですが気になります・・・・
タグ :観光