祖母の昔話
唐突ですが、祖母から聞いた昔話をしようかと思います。貴重な話で、忘れないようにということで。
今回は祖母の生まれた頃から戦争終了頃までのお話です。
昭和10年頃。祖母の本家は現在の新潟島にありました。造船関係の仕事をしていたそうです。現在でも造船所がありますが、昔は沢山の人が勤めており、朝になれば通勤する人で道が一杯になったそうです。
祖母の通っていた学校は現在の白山公園の辺りにありました(名前を忘れてしまった)。今のように5教科を教える風ではなく、お裁縫やマナー等、お嫁さん修業のようなことをしていたそうです。
そうこうしているうちに、日米戦争に入りました。新潟市も規模は小さいながらも空襲を受けたそうです。
祖母の話では爆撃ではなく機関銃掃射だったそうで、家のなかでじっとしてるか防空壕に入る等の対応だったそうです。
祖母の感想ではそれほど恐怖は感じなかったとのこと。ただし、向かいの家の柱に弾が当たって、弾跡を見たとかなんとか。
信濃川で学徒生の乗った船が触雷して沈んでしまったことがあったそうなのですが、本人は話に聞いた程度だったらしいです。
8月6日に広島に新型爆弾(原子爆弾)が投下され、新潟市も狙われているという話があり、一斉に疎開が始まりました。
そして、疎開先で終戦となったそうです。
実際、新潟市は原爆の標的にされていたのですが、天気が悪かったため落とされなかったそうです。
落とされていたら自分は恐らく生まれてなかっただろうな‥‥‥
祖母がよく言うのは、特に怖いみたいな経験はなかったけど食べるものが何にもなかった、ということ。
次回は新潟地震のお話にしようかなと思います。
今回は祖母の生まれた頃から戦争終了頃までのお話です。
昭和10年頃。祖母の本家は現在の新潟島にありました。造船関係の仕事をしていたそうです。現在でも造船所がありますが、昔は沢山の人が勤めており、朝になれば通勤する人で道が一杯になったそうです。
祖母の通っていた学校は現在の白山公園の辺りにありました(名前を忘れてしまった)。今のように5教科を教える風ではなく、お裁縫やマナー等、お嫁さん修業のようなことをしていたそうです。
そうこうしているうちに、日米戦争に入りました。新潟市も規模は小さいながらも空襲を受けたそうです。
祖母の話では爆撃ではなく機関銃掃射だったそうで、家のなかでじっとしてるか防空壕に入る等の対応だったそうです。
祖母の感想ではそれほど恐怖は感じなかったとのこと。ただし、向かいの家の柱に弾が当たって、弾跡を見たとかなんとか。
信濃川で学徒生の乗った船が触雷して沈んでしまったことがあったそうなのですが、本人は話に聞いた程度だったらしいです。
8月6日に広島に新型爆弾(原子爆弾)が投下され、新潟市も狙われているという話があり、一斉に疎開が始まりました。
そして、疎開先で終戦となったそうです。
実際、新潟市は原爆の標的にされていたのですが、天気が悪かったため落とされなかったそうです。
落とされていたら自分は恐らく生まれてなかっただろうな‥‥‥
祖母がよく言うのは、特に怖いみたいな経験はなかったけど食べるものが何にもなかった、ということ。
次回は新潟地震のお話にしようかなと思います。
2011年02月28日 Posted byきたゆき at 09:31 │Comments(3) │中央区
この記事へのコメント
たかゆきさん今晩は、
お祖母さまは、戦争を体験されたのですね。
私の義お祖父さんは、戦争に行きました。
本当に悲惨ですよね。戦地では、泥水や、ねずみも
食べたそうです。家には、馬もいて、乗ってる写真も
ありますよ。
先人が日本を守ってくれ、アジア諸国を
欧米の植民地から開放したのだから、戦争の大儀からすれば
ある意味、目的を達成したのは、日本であり、戦勝国は
日本ですよね。
お祖母さまは、戦争を体験されたのですね。
私の義お祖父さんは、戦争に行きました。
本当に悲惨ですよね。戦地では、泥水や、ねずみも
食べたそうです。家には、馬もいて、乗ってる写真も
ありますよ。
先人が日本を守ってくれ、アジア諸国を
欧米の植民地から開放したのだから、戦争の大儀からすれば
ある意味、目的を達成したのは、日本であり、戦勝国は
日本ですよね。
Posted by ゆら at 2011年03月01日 22:58
ごめんなさい、きたゆきさん
たかゆきって!誰だよ!と思わないで下さい。
間違えました。
たかゆきって!誰だよ!と思わないで下さい。
間違えました。
Posted by ゆら at 2011年03月01日 23:03
ゆらさま
おはようございます。
先の戦争は様々な要因が複雑に絡み合った結果で(自分も全
て把握し切れていませんが)あのようになったのかなと。
確かにアジア諸国を欧米の植民地から開放したいという一面
もあるかなと思います。
日本のために大変な苦労をされたたご先祖様には頭が下がる
ばかりです。今自分に出来る事の1つは、体験した人の話を後
世に残す事かなと。体験談が集まれば集まっただけフィルター
無しの真実に近づけるのかなと思います。
また、恐れ多いことではありますが、軍の戦略上の詰めの甘さ
や、兵器・作戦、外交等で疑問を感じる部分もあります。
ご先祖様の死を無駄にしないということは、敬意を払って手
を合わせつつも傾倒することなく、反論できるところは冷静
・論理的に反論・分析して後世に生かすことかなと考えてい
ます。傾倒してしまうと、例えば第二、第三の戦艦大和のよ
うなことにもなりかねず、ご先祖様もそれを望んではいない
と思うので。
もし、興味がありましたら、山本五十六さん(聯合艦隊司令長官)
と斎藤博さん(アメリカ全権大使)という長岡市に縁のあるお二人
を調べてみて下さい。
お二人とも対米戦争に反対で奔走し、道半ばで亡くなった方です。
斎藤博さんはアメリカ人から「お前、俺よりアメリカに詳しいな」
と言われるほどのアメリカ通だったそうです。
おはようございます。
先の戦争は様々な要因が複雑に絡み合った結果で(自分も全
て把握し切れていませんが)あのようになったのかなと。
確かにアジア諸国を欧米の植民地から開放したいという一面
もあるかなと思います。
日本のために大変な苦労をされたたご先祖様には頭が下がる
ばかりです。今自分に出来る事の1つは、体験した人の話を後
世に残す事かなと。体験談が集まれば集まっただけフィルター
無しの真実に近づけるのかなと思います。
また、恐れ多いことではありますが、軍の戦略上の詰めの甘さ
や、兵器・作戦、外交等で疑問を感じる部分もあります。
ご先祖様の死を無駄にしないということは、敬意を払って手
を合わせつつも傾倒することなく、反論できるところは冷静
・論理的に反論・分析して後世に生かすことかなと考えてい
ます。傾倒してしまうと、例えば第二、第三の戦艦大和のよ
うなことにもなりかねず、ご先祖様もそれを望んではいない
と思うので。
もし、興味がありましたら、山本五十六さん(聯合艦隊司令長官)
と斎藤博さん(アメリカ全権大使)という長岡市に縁のあるお二人
を調べてみて下さい。
お二人とも対米戦争に反対で奔走し、道半ばで亡くなった方です。
斎藤博さんはアメリカ人から「お前、俺よりアメリカに詳しいな」
と言われるほどのアメリカ通だったそうです。
Posted by きたゆき at 2011年03月02日 10:18
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