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北越戊辰戦争について

物事には最低でも2面性があるというお話。

これは、長岡市で起きた北越戊辰戦争にまつわるお話です。

北越戊辰戦争とは、幕末に起きた新政府軍と長岡藩の戦いです。
新政府軍の強引な倒幕のやりかたに疑問を覚えた長岡藩が、新政府軍にちょっと待てをかけようとします。
しかし、停戦・和平は受け入れられずに戦争が始まってしまいます。

当時、長岡藩の中心的存在だった河井継之助が長岡の軍を指揮し、一進一退の攻防を繰り広げます。
しかし、長岡の町は焼け野原となり、河井さんも受けた弾丸の傷がもとで亡くなってしまいます。

「河井さんさえいなければ長岡が焼け野原になることは無かったんだ!」
「新政府のやり方が多少気に食わなくても黙っていれば‥‥」
と言ったお話もあるそうです。
こういった方々かは分かりませんが、長岡にある河井さんのお墓の墓石には何かで叩かれたような傷があるそうです。


この、焼け野原になった長岡から米百俵の逸話が始まります。
ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、小林虎三郎にまつわるお話です。

「これからの世の中を良くするには、教育が一番大切なのだ。食えないときだからこそ食えるようになるために勉強をするのだ。」
そういって小林さんは、お見舞いに送られた米百俵を売って、書籍などの購入費に当てました。

小林さんがたてた学校からは様々な人が世に出て活躍しました。東京帝国大学総長、銀行の創始者、明治憲法を考えた方、‥‥


ここで、北越戊辰戦争が良かった悪かったについては言いません。

ただ、歴史的事実として、新政府軍と戦って長岡藩は破れた。その後の復興で米百俵の話が生まれ、長岡の人々の一つの誇りとなっている事は紛れもない真実です。


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2011年03月28日 Posted byきたゆき at 02:30 │Comments(0)長岡市

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