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三島億二郎日記を読んでみた 1

長岡市が出している三島億二郎日記を読んでみました。
三島億二郎は河井継之助、小林虎三郎と同じく幕末に佐久間象山から学び、幕末~明治~の長岡・新潟を支えた偉大な方です。
先日UPした河井継之助の建白書に続き、幕末・明治期の日本・新潟がどのような様子で、どのような考えを持った方がいたのか?
真相が知りたくて本を購入しました。
少しずつ読み込みながら、気になった部分を記載していこうと思います。
この日記の巻末の解説にもございましたが、当日記には三島億二郎の日々の備忘録、所感、漢詩、メモなどが記載されています。
現代でいうところの手帳のようなものかな?という印象を受けました。


今回は日記の中の明治10年2月2日に記載された「中庸論」の部分を読み解いてみました。
中庸という(書?)のは孔子の孫の子思(紀元前483?~402?)の作といわれています。(下記文献より)
私は専門家ではないので、失礼を承知で大雑把に「中庸」の内容を説明すると、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」を丁寧に説明した内容になります。
中庸=心技体のバランス感覚 といったところでしょうか?
昔、人の上に立つ人はこのような本で物事の考え方を学んでいました。

三島億二郎が中庸論を日記に記載した理由が、何か講義のようなものを受けて(当時か以前受けたものかは不明)書いたのか?
いきさつまでは読み解くことができませんでした。ただ、その当時の世の流れに対して思うところがあったから記載したのだと思います。


無い頭で漢和辞典を片手に読みました。
内容としてはおおよそ次のような理解でおります。
一部、漢字がどうしても分からなかった部分などもあり、現代語訳できなかったところもあります。

以下---------------------------------------------
世の人の中庸を失うことのなんと酷いことか。今の天下で往々にして、偏らず、党派的に(多数に流され)なりすぎず、個人的になりすぎず、やりすぎず、及ばないこともなく、良く中庸を全うする者が〇〇(漢字が分からず)となり、今我々の社会のあり様を見てごらんなさい。
着実温厚で徳のある行いに努める者は愚直に沈み、
進退活発で知識にあくせくとしてゆとりの無い者は軽はずみに物事に関わり、
俗事に奔走するものは〇〇(漢字が分からず)として退けられ、
丁重尊大で世の中を気に食わないと思っている人は、心が狭く頑愚と見られて拒絶される。

皇学者(古事記・日本書紀を探求して日本本来の精神を明らかにする人)は皇統を崇め従って自分の権利を捨ててしまい、
漢学者は過ぎ去った過去を大事にするばかりで現在を見下げ、
洋学者は西洋に心酔するばかりで日本を愛する事をどのようにするか考えず、
若い者は進むこばかり考えて、退くということを知らず、
年を重ねたベテラン儒学者は退くことは知っているが、進むということを知らず、
学者は宗教者の間違い事を指摘するが、宗教者によって成された結果的に正道に叶う事柄には理解を示さず、
宗教の徒は学者の不敬に対して抗議はするが、いまだ驕り高ぶってすべきことを怠り、世間から歌や芸をする人だという印象を払拭できていない。

飾り気がなく律儀でも言動が下品で卑しい人は、いくら徳を守り義があって誠実で人情が厚くても野蛮人と見るべし。

旧態を守ろうとする人は頑固で新しい事を受け入れず古い事に固執し、
急進論者は過激になり、
段階を追って少しずつ進む人はいつまでも煮え切らずとどまってしまう。

子供を溺愛しすぎるあまり善良な人間に導くこと(教育すること)を怠る両親あれば、
孝行(子供が親に尽くすこと)を固守して(親が固守させて)精神の発達を忘れる子供もいる。

正直で律儀であることも、度が過ぎて馬鹿といわれる人もいれば、
感覚が鋭すぎて狡猾と言われてしまう人もいる。
寛大すぎてお金のやりくりを考えない人もいれば、
倹約が過ぎてケチだとあざけられる人もいる。

意思がしっかりしていて思い切って事を行っても失敗の多い者もいれば、
古いしきたりに何が何でも従うだけで、チャンスを失う者もいる。

精神ばかりを磨く者は体が貧弱な様子となり、
体ばかり鍛える者は精神がおろそかになって鈍くなる。

分別なく疑ってばかりの人は世の信用を失い、
分別なく信ずる者は予期しないところで失望されてしまう

過度に失望する人は再起の気力を失い
希望が過度な人は予期しないところで食い違いを招く。(楽観的すぎて一貫性が無くいい加減ということか?)

分別なく喜ぶ人はあるときは分別なく悲しみ、
分別なく人を悪く言う人はある時は分別なく人を誉め、
分別なく人を愛する者はある時は分別なく人を憎む。

理論家は実際に現場で手を下す人が軽率であることを馬鹿にし、
実際に手を下す人は理論家の回りくどさを笑う。

下戸は上戸の酒を飲むことを笑い、
上戸は下戸が牡丹餅を食べることを笑う。

中庸もバランスを失えば、
用心は臆病となり、
不屈の精神は頑愚となり、
尊敬はかえって人をあざけって馬鹿にすることになり、
自由はわがままとなる。

仁義礼智信(儒教で大事な五つの徳)も間違ってしまえば、
婦人の仁、※1
侠客(ヤ〇ザ)に義があり、
太鼓持ちに礼があり、
盗賊にわきまえがあり、
〇(記載なし)に信がある。
ということになる。

偏らず、傍観せず、党せず、私せず、過ぎたるは及ばざるなく分別をもって中庸で言われていることを得るのは、
実際にはなかなか難しいことであります。

以上--------------------------------------------------

今も昔も悩む部分はそれほど変わっていないような気もしました。

※1
婦人の仁
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14146369379

文字面だけ見ると、なんで女性の仁が良くないのか?と思われることと思います。
この言葉は司馬遷の「史記」で韓信が劉邦に語った項羽の評価だそうです。
意味としては、泣いている人を見て可哀そうになって思わず助けてしまった後、
その人が元気になって活躍し始めると冷たく接してしまうような様子。
その人の活躍が心から喜べない。(泣いている人を見てただ手を差し伸べるだけで終わってしまうことは薄情で真心がない)
というような意味だそうです。

この言葉は史記の文脈まで理解していないと、現代の私たちでは正確に意味が捉えられない言葉だと思います。
こういった言葉を当たり前に使いこなせた三島億二郎や当時の周囲の人々は教養があったのだなと思いました。

参考文献
三島億二郎日記 長岡市
岩波文庫 金谷治 訳注 大学・中庸


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2021年02月11日 Posted byきたゆき at 22:24 │Comments(0)長岡市

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